上郡町の偉人 第26回『鵬程万里』 
 著者 中川由香
発行所:上郡町役場 広報かみごおり7月号

著者 中川由香氏
中川氏の今回のロシア戦争執筆に関係ある圭介の漢詩(2005年2009年アップ)3点再度載せます。
解読して頂いた吉田氏は来年2018年5月4日100才になられます。現在もお元気です。

如楓(大鳥圭介の号)


日露戦争 朝鮮海峡 日本海海戦の様子 
偶然テレビで2005年1月26日NHK夜9時15分「その時歴史が動いた」日本海海戦バルチック艦隊迫る参謀秋山真之挫折からの奇跡の逆転劇を放送することを知った。早速ビデオに収める準備。当日この放送を見ながらお寺のご住職様ご夫妻に額の意味をお聞きしたことが映像とダブってなるほどと思った。
 復習してみます。間違いはお許しください。
 
40艨艟(もうどう)東に向かいて来たる。これに逆ろうて一戦しゅうを決す。日本軍40艦船は、ロシア艦隊を孤立させ、ここで覚悟を決めて迎え撃つ。ここで決着をつけないと負ける。水雷こうに当たり噴煙白し。榴弾(りゅうだん)弦にたなびいて火煙、紅なり。幾万の敵兵、魚はん(海)に葬る。二はんの将帥きん籠に入る。
 空前の大勝、天下を安んじ長く国民をして頌せしむ。たたえる。

 如楓圭介

上郡のお寺所蔵
*木下為書きになっているが圭介の妹の於勝は、福本医師へ嫁ぎ、於勝の長女よしのが木下家に嫁いだ。 漢詩
大捷空前天下驚
凱旋勇士錦衣明
五千萬亢一齊叫
日本名聲轟八紘


 凱旋歓迎作
    為木下桂二子
  七十五痩如楓圭介

詠み
たいしょう空前天下驚く
凱旋の勇士、きんいあきらか
5000万こう(たかぶる)一斉に叫ぶ。
日本名声、はっこうにとどろく


意譯(いやく)
日露戦争で日本は空前の
大勝をした。
凱旋の勇士の錦の衣は鮮明
である。
5千萬の国民は亢奮(こうふん)
して一斉に叫ぶ。
日本の名声は天地四方に轟いた。


七十五痩は(歳、年)のこと
解説 吉田實氏

日露戦争を詠んだ圭介の漢詩に
私は確か3度目の出合いになる。
90歳を超えられ益々お元気でいつも解読してくださっている吉田氏は、日露戦争のお話しや漢詩を読むときは、いきいきと声にハリがあります。とても感慨深げです。
そういう時代に生きてこられたのだなあとしみじみ感じさせられます。
読み
魯(ろ)を攻めて土を守る賭けは殴(おう)重し
勝敗は相い関、かかわる二大洲
鷲翼(しゅうよく)或いは能よく新月を覆(おほ)う
摧、くだくると扶、たすけ旭光(洲、本州)我国に及んで筆す 
  戦記に題す圭介書
意味

魯(ロシア)と戦って日本の土を守ることは大きな賭けごとで大きな亀のように重い。勝負は二大洲、アジア、シベリアにかかわり大きな戦争である。
鷲翼、わしのつばさで新月(三日月)の光が覆い消されるように日本海海船でも遼東半島の旅順でもその時、突然に雲がかかって暗くなり、戦いは我に勝利をもたらせてくれた。まさに天の助けであり奇跡である。
戦いに勝ったらこそ私は筆でこのことを書くことが出来た。

(この戦争の前後、日露両国の国力をよく知っている圭介のうたった詩の中でも最もよく気持ちが表われている。)
所感 吉田實 
この作品は朝鮮の公使兼中国公使を勤めてロシアの満州北支への進出を如何に食い止めるか、この二大洲の安寧を守ることは日本の大きな責務であった。ロシアは世界の大国で広大な領土を持っているが冬季は凍結する為南に延びて冬も凍らぬ良港を持つことが政策であった。従ってシベリア、ウラシオから南へ進出して満州から北支旅順港等を狙って次第に勢力を伸ばしてきた。そこで日本の大陸政策と衝突したのが、日清、日露の両戦役であった。日清戦争においては台湾を貰い受け、北支の旅順青島の権益を護り受けたがロシアが南進をねらい北支方面の権益を拡げてきたのでこれを撃退するのが日露戦争であった。この時代の朝鮮と中国の公使を(大使)を兼ねた大鳥圭介の苦慮は推して知るべきものであった。
その日露戦争、特に日本海の海戦にロシアのバルチック艦船を撃破したことは詩にもあるように大きな賭けでその重さは瓶(かめ)のごとく大きかった。日本船隊の総司令官東郷平八郎元帥の海戦の時操ったT字戦法の確立成功,もう一つ我が方に有利であったことは、その時三日月の光が海上にあったその光を鷲の翼が影を作って敵艦の摧(くだ)かれるのを助けた事。実にこの一戦は日本国の浮沈関わる一戦であり、実にのるかそるかの運命の別れ道であった。T字戦法の成功,その時の新月を鷲の羽根で覆った奇跡があってこの重大な賭けに勝つことが出来た。そして明治38年5月27、28日の旭光が日本国土に射(さ)したのてある。この時の感懐を詩に書いたのがこの詩である。)
 おそらく圭介にとってもこの詩には随分頭を悩ませたと思う。思慮に再考を重ねてこの詩を作り発表したと思う。正に清水の舞台から飛び降りるような気持ちであったと思う。さすればこの詩の千金の重みが解ろうというもの。圭介の詩は幾編か解明したがこの詩ほど私自身も苦労したことはない。時に平成17年7月19日雨上がりの日。
2005年吉田實氏が解読。左上の貴重なお軸は、西山昌夫氏が所有していましたが亡きあと親族から郷土資料館に寄贈