大鳥圭介の碑を建てた人たち解明!

考察 吉田實
この碑の資金は、塩の関係者が主として負担したそうです。
 圭介は、商業の発達を期して赤穂の塩を供給する道をつけたのですが
上郡村には福本傳之助がいて、その親戚の木下万平(福本譲平の娘婿)に
上郡の塩販売の大問屋をさせ、大国、井原は、塩の小売店。塩は、生活
の必需品である。
背後地の佐用、宍粟、更には宍粟の奥の戸倉、大通りを越えて備前、美作
方面へも供給したようです。
だからこの碑を建てたのは、大鳥の近い者と塩関係の者が協力して建てた
のだそうです。建碑の資金は、それらの人が出したようです。
8人の配列から見て福本傳之助が真っ先に立って行ったと思います。

上記に関連した大鳥家系図
大鳥圭介の妹お勝は福本譲平(福本家12代医師)と結婚。長男が福本
傳之助(13代医師)長女よしのは、木下万平と結婚。

りっぱな記念碑は県道451から
5mほど上に建っているが、木々
に覆われ道からは見えない。
大鳥貝治郎、福本傳之助は圭介の甥になる。大鳥貝治郎と福本傳之助は、いとこ同士
大国真太郎は、町内の高田の人,井原福三郎は、町内の大枝の人。塩を売る店の主人の名。
前田姓4人は、赤穂の塩田の所有者。