大鳥圭介29歳結婚
雲州藩士矢島大三の長女みち22歳を妻として迎えた。


この写真の頃の圭介は蘭学をマスターしていることを武器に
名誉にも仕事にも恵まれ、又結婚で家族にも恵まれて幸せの絶頂では
なかったか。このままでと、 まっ平凡な57歳のおばさんは思いますが、
偉人は違っておりました。だからこそ後世に残る大鳥圭介になったん
ですね!
 圭介は医学を離れて砲術や築城書の蘭書の方へ・・・蘭学による兵法の講師近隣諸藩に名声を高めていく。19、20,21、でも載せたように築城典型及び砲料新纂を翻訳。黒船が開港を要求した目的の中にある捕鯨船の燃料となる石炭、石油への関心も研究科目の対象となる。科学への関心は、語学にも向けられ中浜万次郎について英語とアメリカ文化の研究に専心。ここで榎本釜次郎(武揚)に会う。外人街で英語や数学、発音を学び、フランス人ブリュネからはフランス式兵法を学んだ。
 圭介は長女ひな、次女ゆき、長男富士太郎の父となる。 
 幕府直臣として招かれるようになる。
 慶応2年、圭介34歳,50俵3人扶持米を支給されて晴れて旗本の1人となった。
 同時期 近藤勇、土方歳三らも徳川家臣となった。
 時代が人を求め、人は時代を創っていく。
 圭介は幕府開成所(のち東京帝国大学)の教授として洋学を講義し、西洋兵法書の翻訳に励んだ。
                  古賀志郎著 渓流社『大鳥圭介』より抜粋