大鳥家と私宅との連なり   



吉田家の横にある古い欅(けやき)
 私の生家は、石戸から2キロ離れた黒石村で農家である。先祖は200年前から続いていて私で16代となる。歴代農業のかたわら牛や馬の医者獣医をしてきた。
 13代目の吉田喜右ェ門の妻を大鳥家から迎えた。圭介の叔母、名は「ひで」という。子どもが生まれなかったので同族ではなく姻族である。
 後年圭介が功成り名遂げて、朝鮮及び支那の全権公使となり、その時支那国との間に起きた日清戦争が我国の勝利で終結した。
 明治28年4月17日、下関において講和条約が成立した。世に言う下関条約である。大鳥圭介と支那の李鴻章とが条約批准書に署名した。時に圭介62歳、体力、知力ともに盛んな時であった。
 その直後、退任を果たした圭介は、故郷石戸に墓参した。石戸から坂道を歩いて、羽織はかま姿で黒石の私宅を訪ねた。その時にと筆を持参してくださった。
 出迎えたのは、圭介の叔母と私の祖母「まき」、まきはその時妙齢の30歳であった由。
 玄関に就かれた圭介の姿は堂々とした体格で、戸口から入れるのかと思った。
 表縁側から入らず、大戸口から内庭に入られて、先ず家の者の履物をキチンと揃え直して、それから自分自身の履物を横に揃えて座敷に上がり、仏壇や神座に礼拝された。 
 向きを変えて袴を整えて、それぞれにご無沙汰の侘びを述べ挨拶の後、和やかに話された。
 このことを祖母まきは口ぐせのように何度も何回も私に語り、それ故、私は幼少から今日まで、人はかくするものと信じ実行してきた。
 この時、目の当たりにした圭介の態度姿勢が妙齢のまきの頭脳に焼きついたのであろう。人間はどんなに偉くなっても尊大ぶらず、低姿勢で人に接することの大切さを身を以って示されたのであろう。                             つづく     
 
随筆 「追憶の岩木道」    吉田 實
    かみごおり民報平成18年4月20日号より  
 4月25日、黒石に車で行ってみた。
すごい坂道、遠い。カーブばかりで大変。
圭介さん、よくも羽織はかま姿でこの急な坂道を登ったなあ。
途中大きなもみの木があった。
ここで一休みしたんだろうな〜
物音一つしない・・・やっと一人の住民に出会い嬉しかった。でっかい年季の入った欅が目に付く。
住民「神武天皇の時代からあるらしい。」
私「神武天皇!・・・」 
 現在、著者の吉田さんは、黒石から降りて来られて上郡の町に在住されています。