頭脳明晰大鳥圭介 好奇心旺盛!先見の明が光る。おらが村の偉大なる出身、ただただ尊敬です。
 万延元年(1860)圭介は、みちと結婚。江川邸内に移住し練兵製銃築城の事を司る。(手当一ヵ年金25両5人扶持)
 江川塾は幕府と直結の塾である。大鳥圭介は幕府より御鉄砲方を命じられ、練兵、製銃、築城の事を司ることになった。
 兵書を講義するに当たって教科書の必要を感じた圭介は、オランダの兵書を翻訳して出版することにした。
 そこで、従来の日本の印刷技術である木版では多くを刷れない。ここは何とか洋書にある金属活字を作ってみようと考えた。
 ここは本人の話を聞くのがいちばんであろう。
 私が此処で築城典型と云う築城書を出版する時に、江川の人に話して「なんと之は今の普通の版にしては面白くないじゃないか、」「そうですか。西洋の活字の法がある、どうする、それは亜鉛と錫とを入れて鋳物にして、それを植えてやるのだ・・・活字にして置くと新規の本を拵へるに便利だ。」「それは宜しかろう、但し出来るだろうか、」「さあ、其の事は私も困るて、それが西洋の法は分かって居る、調合などは分かって居るが、どう云う風にやると言うことは知らぬ、私が考えるにクボイもの、ロならロ、ハならハを、銅に彫る、そうしてこれをイロハなり何なり並べて置いて、今の亜鉛や何かを溶かしたものを鉄砲玉をこしらえる様によく注ぎ込んだら出来るだろう・・・」
 墨は到底日本の墨ではいかぬ、インキの方はこしらえ方があるから調べて出来た、それでやった、今私の方に幾らかありますがそう汚くない、字の大小などが揃わなかったりした所はあるが、結構間に合う、私の考えでは日本に金の活字版をこしらえたのは私が始めだと思って居る、・・・(山崎有信『大鳥圭介伝』)
 「幕末期に於ける和文金属活字による印刷物随一の
飛び抜けた威容と評して異論あるまい」

府川充男著『本と活字の歴史辞典』の中で「和文鋳造活字
の傍流」と題した文の中より
 福本龍著 『われ徒死せず』40P〜43Pより