国書刊行会発行『われ徒死せず』明治を生きた大鳥圭介 著者福本龍 より 写真文抜粋
 明治5年(1872年)2月18日正午、大鳥圭介を乗せた太平洋郵便船「アメリカ」は、横浜から出航した。肌寒いが天気のいい日であった。
 この日は牢を出た大鳥が、新しい明治の世に文字通りの船出した時でもある。
 ほかの五稜郭の将たちと共に牢屋(軍務局糾問所・揚屋)を出たのは、明治5年正月の6日であった。
牢を出てすぐ、開拓次官黒田清隆から開拓使四等出仕を命じられた。しかし、当分は出務に及ばず、という沙汰であった。ところが2月に入って、大蔵少輔吉田清成が外債募集のための渡米が決定すると、大鳥は急遽これに随行することになった。このため開拓使兼任で大蔵少丞という肩書きが付いた。
 大蔵少輔吉田清成は、従来の家禄に代えて新たに禄券(公債)を交付するための資金と、鉱山、鉄道などの開発に要する資金を外債に求めての理事官としてアメリカに行くのである。
 随行員は、大蔵少丞大鳥圭介と大蔵省御雇米人G.Bウィリアムズ(元米国内国収税権頭)、大蔵大禄南保(会津)と租税中属本多晉(元一橋家世臣)の4名
 明治5年(1872)3月10日ようやくサンフランシスコの海岸が見えた。横浜を出てから24日目、大鳥圭介にとっては初めての外国である。     
                       来月につづく
 圭介は、教え子(黒田清隆)に助けられて牢から出るや否や1ヵ月後には、外国へ!外国語が出来て、知識があればこそでしょうね。立派な写真は、外国で写したのでしょうか?