大鳥圭介生家の隣に住む村の長老の話  私の記憶その1  2007.11.4(日)

語り部 
読書愛好家で筆豆な坂本氏
 大正6年大鳥圭介公の七回忌の大法要が岩木尋常小学校で営まれた。私の母が昭和14年小学校2年生の時のことを話してくれた。
 当時は旧赤松村に小学校が4校あり母の里は
一番奥の小赤松で千種川の上流で生まれ、近くの大酒尋常小学校に通っていたのである。
 大正6年頃は下流の苔縄方面へは出ず、最も近道である黒石の山道を全校姓が並んで越え、石戸に降りて圭介の法要に参列したそうです。今から63年前の事である。丁度私の親父が35歳で日中戦争で出征中の折であった。
 同じ年の昭和14年春遅く、圭介さんの実の弟鉄次郎(家業医者47歳没)の長男貝二郎(明治3年生まれ)の夫人しじえさんが急病で倒れられ病気回復を祈り、この村の婦人会全員が倉尾の氏神様へ行き百度参りを行った。私も学校を早引きして一緒にお百度参りをした事をよく覚えている。しかし其の甲斐もなく、しじえ夫人は翌年2月に亡くなられた。盛大な葬儀が石戸の大鳥家墓所下の田圃で執り行われた。この時も私は学校を休んで参列した。真宗の住職が8人ほど来られ式は約2時間続いたと思う。格式の高い大きな葬儀であった。
   大鳥貝二郎さんと私の祖父宗之助は明治3年生まれで良き竹馬の友であったと聞いている。よく「裏の貝二郎はん」「しじえはん」と呼んでいたそうだ。私も幼いながら聞き覚えがある。ご夫婦とも仲睦まじく非常に温厚で善い人であったそうな。私も小さい頃、しじえばあさんによくして頂いた。
 貝二郎さんの長男一郎さん(俊子さんの亡き夫)は、
戦中戦後の生活難、更に食糧難の中にも2男3女の子どもさんを上手に見事に育てあげ、愛する我が子の行く末を案じながら昭和29年早春、病魔におかされながら病院にて51歳でこの世を去られたのである。私にとっては、もう20年も長生きしてもらいたかった。
氏神様大避神社 百度石 来月に続く